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2011年9月14日 (水)

核抑止論の標的設定と核の傘

 今年の広島デーに出席した菅首相が記者会見で言った言葉はショックであった。彼は、核抑止力の必要性について聞かれたことに答えて「核兵器廃絶が実現すれば、核抑止力そのものが必要なくなる」と述べたのである(『朝日新聞』8月7日)。外務省の官僚でさえも口ごもるであろう、この言葉をかくも明快に口にできたということは、首相かそう信じているからであろう。実際のところ、それは、外務省、防衛省の官僚や政策アドバイザーが作り上げてきた誤った論理が、永田町、霞ヶ関の空気となって長く支配してきたことの現れであり、首相はそう信じ込まされていると考えるべきなのかも知れない。しかし、少なくとも、重要政策について政治主導を貫く政権の姿勢として、弁解は許されない。
 正しい考え方はそのあべこべであって、核兵器廃絶は核抑止力についての考え方のパラダイム転換なしには実現しない。米国オバマ政権における「核兵器のない世界」への政策担当者や政策アドバイザーの格闘の最前線はまさにこの点にある。核抑止力への根本的見直しが進行するために、大統領はどのような指導力を発揮すべきか、またできるのかに知恵を絞ることが求められている。

オバマ大統領の正念場
 オバマ大統領の国家安全保障担当補佐官トーマス・ドニロンが、2011年3月29日、カーネギー財団国際核政策会議での基調講演において、大統領はSTARTに続く核兵器削減の選択肢を作るように国防長官に命じる準備をしていると述べた(注1)。ドニロンは、その中で選択肢の作成のためには、核攻撃の標的設定から導かれる要求や効果的な抑止力のための警戒態勢を変更する可能性を検討することが必要だと述べている。
 この過程においてこそ、オバマ大統領の真価が問われると考えた旧知のスタン・ノリスハンス・クリステンセンの二人(注2)が、興味深い小論「新しい核の道筋のための大統領政策指令」を『ブレティン・オブ・ジ・アトミック・サイエンティスト』誌の電子版(2011年8月10日)に書いている(注3)。
 彼らは、オバマ大統領が昨年の4月に発表した「核態勢の見直し(NPR)」に示された方向が、末端の部隊の核攻撃計画にまで具体化するためには、その出発点となる「大統領令」はかくあらねばならないという「大統領令」のモデルを「大統領政策指令X」として提案した。
 その背景を理解するには、政策が戦争計画に具現化する過程を理解しなければならない。大統領府から発せられた核政策文書は、まず国防総省に降りる。それは統合参謀本部議長に下り、戦略軍に命じられる。この過程で、国家安全保障政策に沿って個々の対象国(敵)ごとに作られている政策目的セットを達成するための核戦力と核戦争計画が策定される。多かれ少なかれ大まかに作られている大統領の政策は、この過程でさまざまな省、官房、官僚機構を通過して、政策はこと細かく、かつ注意深く調和を図った攻撃計画に形を整えてゆく。戦争の実行者(各部隊)は、この戦争計画に沿って、個々の標的を、どのように、いつ攻撃するかを指示されることになる。これが細部にわたった核戦争計画となる。
 問題は、大統領の政策が、現状維持によって利益を温存しようとする各官僚機構を通過してゆく過程で、本来の趣旨の通り忠実に具体化されてゆくかどうかという点にある。ノリスとクリステンセンは、過去60年間、どの大統領も核政策や核戦争計画を詳細にわたって点検した大統領はいないと述べている。つまり大統領の核政策は、官僚機構のなかで恣意的に解釈され、彼らの都合の良いように変形されていっても放置されてきたのが、これまでの歴史であったということであろう。その過程に関与した官僚の一人であるジェラルド・E・ミラーの次のような言葉を二人は引用している。ミラーは、1970年代初めに統合戦略標的立案参謀の副部長であった人物である。
 「合衆国は、(核兵器戦略について)大部分の国よりもはるかにオープンな国である。しかし実際の詳細部分は、ごく少数の人々――言葉を行動に転換する実務を担う内々の人々がずっとやっている。政府の政治的また政策的会議で作られたものと関係なく、本当の戦略が展開されるのはこの実務においてなのである。」
 米国の現在の核戦力決定過程においては、この実務を支配する論理が、核抑止論であり、どのような抑止論を採択するかによって保有核戦力の質と量が決定される。したがって、核抑止論の変更なくして核兵器廃絶への道は開けない。

対抗戦力から対抗価値への変更
 ノリスとクリステンセンの提案した「大統領政策指令X」の眼目は、これまで支配してきた「対抗戦力」抑止論から「対抗価値」抑止論に転換するという指令である。
 対抗戦力というのは、敵の核戦力、また軍の指揮・統制中枢など軍事力を壊滅的に破壊するように攻撃の目標設定をし、そのための能力(弾頭の種類や数)を維持し、その能力を敵に見せつけることによって敵の核攻撃を抑止するという考え方である。この考え方の前提には、攻撃後の敵の戦力の弱体化をめざし、味方が軍事的に圧倒するという軍事目的が存在している。この抑止論では、同盟国への拡大抑止力(核の傘)のために必要な攻撃目標を含めて、標的の数を減らせることができなければ、そのために維持すべき核弾頭を減らせることができない。つまり、これは、核兵器の削減に大きな制約を課す抑止論である。
 それに対して対抗価値というのは、敵の核攻撃があったときには、敵が耐え難いと考える価値を攻撃し壊滅させる報復能力を維持する、また、その能力を見せつけるという考え方に基づいて標的設定をする抑止論である。この考え方は、核兵器の役割をこのような意味における報復にのみ限定し、「唯一の目的」化する狙いと重ねて抑止論を位置づけることを可能にする。従来の「対抗価値」抑止論では、多くの場合、敵の価値とされる標的は人口中心である都市と考えられていた。この場合、標的の数は少なくなるかも知れないが非人道性は大きくなる。そこでノリスとクリステンセンは、敵の価値としての攻撃目標を人口中心ではなくて「インフラ」標的とすることで十分に抑止の目的を果たしうると主張している。製油工場、鉄鋼所などの産業インフラ、輸送ハブ、火力発電所などである。これによって標的数は対抗戦力の場合よりも大幅に少なくなり核兵器の大幅削減が可能になる。

米国における説得の論理と私たちの立場
 米国における政治の現実をふまえて核兵器削減を可能にする「大統領政策指令X」のような提案は、米国の市民がオバマ政権を活かす方法として十分に理解できるし、評価すべきことであると考える。例えば次のような展望を描くことが可能かも知れない。中国における標的設定がどのように行われているかについて情報はないが、この提案は基本的には中国の現行政策である「報復攻撃の能力の維持」のみに核戦力を限定するという考え方に、米国の核兵器政策を緩和し転換することを意味している。したがって、提案されたような転換が米国で実現した後には、5核兵器国による核軍縮協議の場が実現する可能性が高まると考えられる。そのような場が実現すれば、核兵器ゼロへの新しい段階についての議論が行われる局面が見えてくるかも知れない。
 しかし一方で、「対抗価値」抑止論だけでは核兵器ゼロへの論理は生まれてこないことは明らかである。転換された抑止論の下において低いレベルで核戦力を維持し続ける論理が合理化されることになる。同時に、特権的なP5(核保有が「公認」された安保理常任理事国)の国際的地位を温存しようとする政治的意図が働く余地も十分に残されている。さらには、「インフラ」標的への核攻撃であっても、市民への副次的な無差別的被害を避けることはできないであろう。民生に関わるインフラ攻撃であるから、関係する民間労働者が標的にされることはもちろんのこと、放射能禍は周辺に制御できない形で拡大する。核攻撃の非人道性は量ではなく質の問題として付随する。
 あくまでも核兵器に依存しない形で核兵器に対抗する論理を築くことが、日本においては譲れない核軍縮への闘いになる。

注1 http://carnegieendowment.org/files/Thomas_Donilon.pdf
注2 最近は無くなったが、米ワシントンDCの米海軍歴史センター(現在の海軍歴史・遺産コマンド)で米軍艦の航海日誌を閲覧する制度がまだ存在していた頃、私は航海日誌を読むためにワシントンDCに回り道することがしばしばあった。そんなときに都合がつけば立ち寄っていた旧知にアメリカ科学者連盟(FAS)のハンス・クリステンセンと天然資源保護評議会(NRDC)のスタン・ノリスがいた。最初に会った頃、ハンスはワシントンDCのグリンピースに所属していた。二人とも反トマホーク運動がテーマであった80年代以来の付き合いである。いずれも、米国の情報公開法を駆使して核兵器問題を追跡している研究者であり、今ではその分野の大御所ともいえる存在になっている。
注3
http://www.thebulletin.org/web-edition/op-eds/presidential-policy-directive-new-nuclear-path

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