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2011年4月21日 (木)

「ともだち作戦」への警戒

「政治的意図」に失敗
 どのような人命に関わる緊急事態であろうとも、それが戦争に加担するのでない限り、救助のために駆けつけたり、可能な支援に立ち上がることは尊いことであり、被災者にとって掛け替えのない救いである。その意味で、東北大地震・津波や福島原発の緊急事態に米軍が与えてくれた支援に心から感謝したい。

 しかし、「ともだち作戦」という命名には警戒心を持たざるを得ない。作戦の裏側に、政治的な意図が見えるからである。沖縄の海兵隊をめぐって日米同盟がぎくしゃくしている現実を打ち破って、米国の新しい外交防衛戦略に日本を巻き込んでゆく契機として「ともだち作戦」を利用しようとしている響きがこの名前には含まれている。日本の中にも、日米同盟の修復と新しい発展のために、この災害が転機になることを期待する人たちがいるのであろう。
 まず「ともだち作戦」という命名は、その名にふさわしい場面を創出できるだろうか。一人ひとりの米兵が軍服を脱いで被災者と交流することがどれほどあるだろうか。今回のような厳しい条件下における作戦には、米軍やその装備がなくては出来ない貴重な貢献がさまざまあったであろうと想像できる。それは市民の「ともだち」と言うよりも特殊作戦コマンドとしての働きであり、「ともだち」になりうるのは自衛隊員だけであろう。一般市民との「ともだち作戦」が困難な状況にあえて「ともだち作戦」と命名したところに政治性が見えてしまう。日本の農漁村のコミュニティを理解する「知日派」がいるとしたら、このような命名はしなかったであろう。
 むしろ、自衛隊と米軍が、政治レベル、司令部レベル、部隊長レベルと、上から下まで情報を共有し、作戦を立案し、自衛隊と米軍が現場での役割分担と協力を円滑に行うという、2005年米軍再編合意以来の日米防衛協力と同じパターンの協力体制を強めることが、「ともだち作戦」の実際の中味にならざるを得ないであろうし、実際そうなっている。そこに主たる狙いがあったと考えられても仕方がない。
 1991年4月29日にベンガル湾を襲ったサイクロンでバングラデシュが壊滅的打撃を受けたときに米軍は「海からのエンゼル作戦」と命名して救援作戦を展開した。2004年12月26日のスマトラ沖地震と津波に対して、米太平洋軍は原子力空母アブラハム・リンカーンの派遣をはじめ13000人の兵員を送り込んで、インドネシア、タイ、スリランカの救援に当たったが、「(インドネシア、あるいは東南アジア)津波救援作戦」と素直に命名したに過ぎなかった。そのような例からも、今回の救援作戦を「ともだち作戦」と名付けたのは、現在の日米安保関係を意識した命名であることは間違いない。そして、それは日米関係の機微の本質をいまだに理解し得ていない米軍と「知日派」と、それを取り巻く日本の利害関係者の偏った意図を示していると、私には思われる。

「全政府的アプローチ」という位置づけ
 いま、米太平洋軍の公式ウェブサイトのトップには「友達」という漢字が大きく飾られている。在日米軍司令部の公式ウェブサイトには、そのために「統合支援軍(ジョイント・サポート・フォース)」が組織されたことが記されている。その司令官は在日米軍総司令官バートン・M・フィールド中将である。統合支援軍の使命は次のように記述されている。

 「太平洋軍は、在日米軍のスタッフを補うために統合任務部隊519(JTF519)のいくつかの要素を立ち上げ、統合支援軍を形成した。JTFの使命は、3月11日に日本の北部海岸を襲ったマグニチュード9.0の破壊的地震とそれに続く津波によって引きおこされた災害と闘う日本政府を支援することである。
 米軍は、この災害に対して日本政府と自衛隊を出来る限り支援することに重点を置いて2つのダイナミックな救援作戦に取り組む。2つの作戦とは、「ともだち作戦」の一部分としての人道支援と災害対策がその一つであり、要求があったときに状況対応への助力が出来るように福島原発に関係する事態を緊密に監視することがもう一つである。
 統合支援部隊の使命は、人道的助力を要請する日本政府を支援するための合衆国の「全政府的アプローチ」という、広義のアプローチの一部分をなす。この努力には、米国務省、米国際開発庁、エネルギー省、日本政府、自衛隊、及び米太平洋軍との調整が含まれる。」

 米国の新しい外交・防衛戦略として「全政府的アプローチ」がはやり言葉になっている(たとえば、ピースデポの『核兵器・核実験モニター』370号(2011年2月15日)1~3ページに背景説明がある)。「ともだち作戦」がそのような「全政府的アプローチ」の良質な部分――つまり、軍の役割を縮小し文民の役割を拡大する――をのばす機会になることは、残念ながら望めそうにない。何よりも、日本政府の中にそのような主体的意図が見えないからである。

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