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2011年4月 6日 (水)

福島原発事態と超高度科学技術社会

権力機構と市民
  福島原発が大地震と大津波によって蒙った被害は、ほぼ1か月経とうとしているいまも予測不能な形で、刻々に破壊の爪の深さと空間的な広がりの大きさを露呈している。断片情報はつながり始めているが核心情報は未知のまま、テレビの映像情報となって人々に届き、市民はおぼろげながら災害の全体像を感覚として掴み始めている。原子炉の事態悪化を防ぐ手段が、かえって事態を悪化させるという悪循環に直面する危機の予感も含めて。人々は瞠目し、恐怖し、苦悩し、共感しながら、科学技術が生んだ怪物の挙動の刻々を体験している。
 もちろん、多くの情報は画一的で特徴がない。どのメディアも「無難な内容であること」「市民にパニックを引きおこさないこと」という超高度科学技術社会の権力機構が背負わされる以下に述べるような特質を反映している。しかし、とりあえずそれを受容しよう。原子炉の中がどうなっているか。それこそが、近未来の行動指針を決定する情報であるが、まだ誰も語ることができない。焦燥感は募るが、それもとりあえず受容しよう。日本国内で情報に接している市民にとっては、技術的「データ」情報は、追い詰められ、放射能を浴びながら働く現場の労働者と被災者の悲しみや苦悩の日常風景全体のコンテキストの中に置かれる。しかし、そのデータは、世界に拡散するにしたがってそのコンテキストを失い情報の意味が変質する。グルーバル化とはコンテキストの喪失を含むという重大な含意を改めて知らされる。人々の抱く不安や認識は、日本国内であっても一人ひとりの置かれている日常によって色合いも濃淡も変化するが、世界の人々の間における多様性の度合いはもっと大きいだろう。しかし、それも受容しよう。
 私がこの状況の中で普遍的な問題として捉え返したいのは、高度科学技術社会における「権力機構と市民」に関する問題だ。
 権力機構とは、私の定義によれば、法によって市民社会に対して特別な権限(時には強制力)を与えられている組織や制度である。租税の徴収権を持つ行政機構、刑を確定し執行する司法機構、電波や活字を使って広範囲の公衆に情報伝達を行うことの出来るマス・マスメディアなどが含まれる。今回のような危機において、権力機構が市民社会の救済のために果たすべき役割は極めて大きい。同時に、その不作為、不正、過誤の及ぼす影響も同様に極めて大きい。不正や不作為の行為の多くは権力の維持や保身に関係する利害によって支配される。この現象は国家体制の如何にかかわらず起こるものであることは歴史の示すところだ。
 このような権力が持つ属性の故に、権力機構は現在のような予測困難な流動的事態においては、市民の要求からくる迅速性に応えようとするパフォーマンスを強いられる。たとえそれが見かけ倒しのものであっても。しかし同時に、それと裏腹に、行動の本質面において<民主的>権力機構は緩慢であることを強いられる。
 一般市民は身の危険に波及するであろう原初的情報を持たないか、原初的情報が与えられたとしてもそれを評価し判断することはできない。これは超高度科学技術社会の特性の一つである。超高度科学技術社会は、イリイチが警告し続けたように、至る所に「専門家」を生み出した。市民の権力機構への依存は高まり、圧倒的多数の市民は権力機構に対して情報発信のみならず、評価や判断とその帰結としてとるべき行動指針を要求する。福島原発事故後の状況はまさにそのような典型である。
 しかし、超高度科学技術社会における権力機構は、実際にはそのような能力を持たない。にもかかわらず権力機構は能力の限界を明確に表明しない。持てる能力への信頼こそが、形式的であれ<安定>支配力を示す重要なベンチマークであることを熟知しているからである。

「未熟データ」の「データ」化
 地震、津波後の福島原発のような場合、権力機構が入手する原初的情報にはばらつきや矛盾を含んでいることが通例だ。原初的情報は網羅的でないばかりか、制御できない無秩序な時系列で集まってくる。私はこれを「未熟データ」と呼ぶ。科学技術情報は一般的にそのような未熟データから自己形成を開始する。危機の状況においては、未熟データはいっそう甚だしい度合いにおいて未熟データであろう。未熟データはその出生の秘密を知るもの(それこそ現場にいる人間である)によってのみ、最低限(何が最低限かという判断は一義的には決まらない)の整理をすることができる。それによって初めて、未熟データは「データ」と呼びうる情報となる。現場に立つ「専門家」たちは、データを手掛かりに何が起こったのかの理解を得ようと努める。
 この時点で「データ」は、社会的、歴史的存在として世界に存在し始める。重要なことは、多くの場合、超高度科学技術社会においては、とりわけ今回のような危機の状況においては、「データ」は権力機構の中においてのみ存在し始めることである。
 権力機構がこのレベルの「データ」を原因情報として市民に与えることを躊躇する。一つの理由は、データの意味が自分にも分からないとき、それが生み出す多義的な解釈が生み出す混乱を恐れるからである。混乱の収拾に費やされるエネルギーは甚だしく大きいことを彼らは知っている。また、権力者は多義的な解釈が彼らの利害を直撃し隠蔽しなければならない情報にまで波及することを恐れる。
 もう一つの理由は、解釈を付与されていない「データ」を与えられたとき、危機にある多くの市民は怒り始めることを彼らは予測するからである。権力機構はそのように市民が反応するように市民との関係を作ってきた。彼らは科学技術を過信し、「権力」に頼ることが安全に生きる道だと信じ込ませてきた。(この状況が変わりつつあることも、一つの希望的可能性として検討するに値することを後で考えたい。国際原子力機関(IAEA)が政府と違う測定値を示し、政府と異なる方針を示唆したとき、市民は必ずしもIAEAを信じなかった。)市民は言うだろう。「このデータは何だ。何の役にも立たない。これは判断の材料にならない」と。「私がいま、これから、どうすればよいのか。行動指針となるものを示せ」と。
 権力機構は、「いまの行動指針」を出すことは出来る。「データ」によって把握できるあるがままの現在から演繹できる指針が必ず存在するからである。「今は検討中であり、暫定的な指針しか言えない。とりあえず半径10kmの外に退避せよ」と。幸運な状況によっては「近未来の暫定行動指針」を出すことができるかも知れない。「アカウンタビリティ(説明責任)」という言葉は言い得て妙である。正直であれば、権力機構は「データ」に導かれたアカウンタビリティを果たすことはできるのである。しかし、権力は一旦出した指針にその後拘束される。それは、その後のよりよい指針への転換を困難にするかも知れない。したがって、とりあえずの「アカウンタビリティ」を果たすことが、権力機構の選択肢になることは希であろう。
 さらに、権力機構は、そしておそらく誰も、「将来を見通した行動指針」を出すことはできない。「最悪のシナリオは何だ」と尋ねられたとしたとき、長々とした付帯条件を述べつつそのシナリオを語ることはできるだろう。しかし、それは、一つの分岐点に何本もの岐路をもった「あみだくじ」を見せられるようなものである。あみだくじは何処にも行き着かないか、何処にでも行き着くことが出来る。それが一般市民にとって「データ」を示す以上の意味を持つことは、まずない。データも条件付き最悪シナリオも、行動指針になり得ない。
 問われているものは、超高度科学技術依存社会における「権力機構と市民」の関係を、世界内存在としての人間がどう捉えるかという問題である。この関係を考察することが、一人の人間における「知」と「生」が現実世界において全体化する運動(つまり、私にとっての生き方)を可知的なものにする思想構築の努力の一端となる。そのことによって、実践的指針が生まれるか、そうでなくても実践的指針の誕生を可能にする仕組みを提供できる。私には、従来の「市民参加」概念とは次元の違う概念において、超高度科学技術社会における「権力機構」の多重化(あるいは社会化)とそれと並行する権力機構の非軍事化が必要であるように思われる。
 このような考察を基礎に、以下では「核エネルギー」問題をとりあげる。

軍事利用と「平和利用」のコンテキスト
 福島原発の現状が世界の人々に投げかけている問題は、「核エネルギー」に関与してきた科学技術者、軍人、戦略家、軍事アナリスト、官僚、政治家、経営者たちが、それをいかに扱ってきたかに関する歴史的考察を必要としている。この省察は、超高度科学技術社会において社会問題にコミットするものにとって避けられない課題だ。それは宇宙利用、生命科学、エネルギー問題などにおいて問われるであろう諸問題と通底する。
 人類が「核エネルギー」というパンドラの箱を開けたとき、それは人間共同体を破壊し、種としての人間を破滅に追いやる破壊力を持つことを少数の科学者たちは知っていた。最初はそれは戦争による破壊と殺戮いうコンテキストの中においてであった。ビキニにおける水爆実験(1954年3月)を経験したあと、「核エネルギー」が人類に及ぼす影響への考察は核反応が生み出す放射能の長期的(晩発性)影響にまで広がった。1955年に出されたラッセル・アインシュタイン声明は爆弾によって破壊される都市は1~2世紀で回復するかも知れないが、致死的な放射能が地球全体を覆い、被害の大きさは予測のつかない長期的なものになると警告した。
 「仮にロンドン、ニューヨーク、モスクワのすべての市民が絶滅したとしても、2、3世紀のあいだには世界は打撃から回復するかもしれない。しかしながら今や私たちは、とくにビキニの実験以来、核爆弾はこれまで想像されていたよりもはるかに広範囲にわたってしだいに破壊力を拡大できることを理解している。…
 放射能をもった粒子が上空へ吹き上げられる。そしてそれらの粒子は'死の灰または雨(いわゆる「黒い雨」)の形で徐々に落下してきて、地球の表面に降下する。日本の漁師たちとその漁獲物を汚染したのは、この死の灰であった。そのような死をもたらす放射能に汚染された粒子がどれほど広く拡散するのかは誰にもわからない。しかし最も権威ある人々は一致して水爆による戦争は実際に人類に終末をもたらす可能性があることを指摘している。」
 このような警告にもかかわらず、大気圏核実験は続けられ、現在明らかになっているだけでも543回を数え、そのつど地球上に放射能をばらまいた。死の灰による地球的影響は、さらに「核の冬」に象徴される地球的気候変動や食糧危機へとその科学的知見は広まった。しかし、「核エネルギー」に関わる省察は、戦争のコンテクストにおいて語られるという状況に変化はなかった。
 これは冷戦下における歴史の一つの鋭い断面を示している。「核エネルギー」解放の知識を得た人類は、米ソ超大国それぞれが、その知識を世界支配拡大の鍵として利用しようとし、ほとんどの科学技術者も政治家もその奔流のなかにおいて行動した。1945年のアラモゴード、広島、長崎における原子爆弾で核の独占を意図した米国の優位は束の間に終わった。1953年3月には実用水爆実験においてソ連は米国に先んじたのみならず、原子力発電においてもソ連(54年6月、オブニンスク)は米国(57年12月、シッピングポート)に先んじた(商業発電はイギリスが最初。コールダーホール、1956年)。
 核兵器におけるパリティ(2国間の均衡)が米ソ冷戦の激化を牽引するパラメーターであったことは確かだが、いわゆる「平和利用」も重要なパラメーターの一つとなったのである。今日において、核エネルギーの軍事利用といわゆる「平和利用」を論じるとき、多くはこの歴史的文脈を軽視している。
 アイゼンハワーの有名な国連演説「アトムズ・フォア・ピース」(1953年12月)は、IAEA設立(1957年)のきっかけとなったが、米ソ両国(英もそれに加わった)ともIAEAをチャンネルとするのではなく、2国間の原子力協定によって囲い込みに奔走した。ソ連は中国、DPRK、東欧諸国に濃縮ウランと核技術のノーハウを与える協定を結んだ。米英は西ドイツ、イタリア、日本、韓国などへと触手を伸ばした。この過程でウェスチングハウスやジェネラルエレトリクスが西側の主要な建設エージェントとなった。つまり、「核エネルギー」は軍事においてのみならず「平和利用」においても、冷戦期における戦争=東西の覇権争いという世界政治・軍事の文脈の中において自己増殖を開始したのである。「平和利用」は軍事利用の一部であったと言ってもよい。
 この経過は、核エネルギーに関する国際管理機構の誕生の歴史に端的に表れている。1950年代、米ソ両国の核分裂物質の生産と多様な核兵器の開発が加速し、パリティの恐怖の均衡の概念が支配するなかで米ソは共存を模索するようになった。「平和利用」に関する国際管理が結実するに至ったのは、米ソ両国がそのような均衡を保持しながら共存する枠組みとして有用であったからに他ならなかった。IAEAはその枠組みの典型であり、やがて核不拡散条約(NPT)を含むさまざまな核不拡散体制がそれに加わった。核兵器の数カ国による独占がこれら機構による「平和利用」の大前提であった。
 アイゼンハワーの「アトムズ・フォア・ピース」演説を読めば、彼は確かに軍備管理の意思を持ってIAEAという「平和利用」機関の設立を提起していることが分かる。しばしば引用される彼の演説の核心は次のように言った。
 「主要関係国政府は、慎重な考慮に基づき、許容される範囲内で、自国の通常ウランならびに核分裂性物質の備蓄量の中から国際原子力機関に供出を行い、今後も供出を継続する。そうした国際機関は、国連の支援の下で設立されることが望ましい。」
 しかし、両陣営の核の聖職者と呼ばれるエリート科学者や官僚や軍人は、「慎重な考慮」や「許容される範囲」をいかようにも解釈することが出来た。米国は、アイゼンハワー演説の数か月後に、世界を震撼させたビキニ環礁での水爆実験を行った。世界の人々が「アトムズ・フォア・ピース」を軍備管理のメッセージとして受け取ることなど出来なかったのは当然であった。(望みたくはないが、この前例は最近のオバマ大統領のプラハ演説が同じような歴史過程に投げ出される特徴をもっていることを否定することは出来ない。)
 つまり、IAEAやNPTなど核不拡散体制の枠組みは、東西の覇権国家が「核エネルギー」の軍事利用の特権的枠組みを確保するための「平和利用」の枠組みとして生まれたと言うことができる。NPTにおいては、特権的枠組みの中に米・ソ・英のほかに核兵器保有に成功したフランスと中国が入った。また、忘れてならないのは、この枠組みによって、「核エネルギー」は国家権力とそれと一体化した企業と、両者をとりまいて利害を共有する科学技術者、軍人、戦略家、軍事アナリスト、官僚、政治家、経営者たちによって構成される聖域を作り上げてきたという事実である。今日においても、IAEAのいわゆる査察は、軍用核施設には適用されない。NPTの保障措置義務は米・ロ・英・仏・中以外の非核兵器国のみに適用される。
 もちろん、覇権や軍事的野心や金融利害を持つものの意図を超えて、核エネルギーの「平和利用」への強い欲求が世界に広がっていったという側面を否定することはできない。(実際には、日本への原子力導入は日本の核アレルギー解消を目指して反共・親米勢力が仕掛けたという史実が明らかにしているように、「平和利用エネルギー」への熱狂それ自身が政治的起源を持つという側面の解明が必要である。しかし、同時に、私は文化がそれ自身の生命力を持つことを無視してはならないと考えている。)それは、新しい科学の成果によるエネルギー源の可能性として「夢」を人々に与えた。とりわけ途上国においては、その科学技術を習得することは近代化の象徴であり、民族主義を闘う指導的エリートを惹きつけたことは間違いない。今もなお、NPTに書かれた「この条約のいかなる規定も、…平和的目的のための原子力の研究、生産及び利用を発展させることについてのすべての締約国の奪い得ない権利に影響を及ぼすものと解してはならない」(第4条、強調は梅林)という条項に、非同盟運動は強い固執を示している重要な理由の一つはそこにある。
 しかし、私が繰り返し強調したいのは、「平和利用」の枠組みは厳然として軍事利用の特権的枠組みの中に存在し続けているという事実である。(日本のように米国の拡大核抑止力(核の傘)に依存する国も特権的枠組みに組み込まれている。)

人道を基礎にする枠組みの必要性
 スリーマイル島原発事故(1979年)、チェルノブイリ原発事故(1986年)とあい継いだ原発の大事故は、「核エネルギー」の歴史に新しい次元をもたらせた。ビキニ水爆実験が自覚させた大気圏核実験の地球全体を覆う放射能の人類への影響を、「平和利用」の枠組みからも問題にせざるを得ない課題として突き付けたのだ。
 しかし、それらを扱う公的活動は前述したように軍事利用の枠組みを補完して誕生した国際機関とそこで蓄積されたデータが基礎となった。IAEAも核不拡散体制も支配的大国の軍事利用の特権を侵さない範囲で、今日3つのS(保障措置(safeguard)、安全(safety)、保安(security))を高めることを「平和利用」に要求している。保障措置とは軍事転用を防止する措置であり、安全とは事故を起こさない措置であり、保安とは闇取引、テロ組織などへの流出を防止する措置である。核兵器においてこそもっともあからさまに露呈している核エネルギーの非人道的側面を許容したままで、「平和利用」の悪弊のみを除去するという試みは、正統性を欠くのみならず説得力も、有効性も持ち得ないことは明らかであろう。両者に共通する「核エネルギー」の本質とも言える放射性物質による健康被害や地球的環境問題を議論する枠組みが、冷戦起源の大国利害に左右されているからである。核エネルギー「平和利用」から発生した高度科学技術社会における新しい課題も、権力機構と市民の関係に大きな変化を生まなかった。
 たとえば、米国はまだ批准していないが、包括的核実験禁止条約(CTBT)が成立したことによって、現在CTBT機構(暫定)の放射性核種モニタリングポスト・研究所は世界70個所(計画は96個所)で稼動している。しかし、福島事態における放出核種のデータは加盟国の国家権力機構の手中にのみ入る。
 また、別の例を挙げるならば、チェルノブイリ原発事故から25年が経つが、事故に起因する死傷者の推定値には、よってたつ立場によって大きな違いがある。IAEAは死者50人、晩発性死者4000人と言い、ウクライナ放射線化学センターは事故後幼児死亡率は20~30%増加したと推定すると主張するがIAEAはそれを受け付けない。「原子放射線の影響に関する国連科学委員会」(UNSCEAR)は直接死者57人、推定ガン患者4000人と似たような数字を掲げる。一方、「核戦争防止国際医師会議」(IPPNW)は、甲状腺ガン罹病者だけで10000人を超し、他に50000人のガン患者がいると推定する。ヨーロッパ議会グリーン(MEP)の2006年報告書は晩発性死者を60000人と推定し、グリーンピースは52人の科学者の証言をとって晩発性ガンによる死傷者はすでに93,000人に達し今後140,000人に上ると推定する。別のデータを用いてロシア科学アカデミーは、2006年にチェルノブイリ事故が直接の原因となった死者は212,000人と発表した。さらにヤブロコフらは事故後に見られた世界的な出生の低下とガン発症の増加を分析して985,000人がこれまでにチェルノブイリ事故で死亡したという論文をニューヨーク科学アカデミー年報に発表した(以上、「ガーディアン」紙)。
 つまり、「軍事利用」と「平和利用」の歴史的コンテキストを省察して現状を分析すれば、福島事態を乗り越え、超高度科学技術社会における権力機構と市民の新しい関係を展望することが今こそ求められている。
 広島と長崎に原爆が投下された直後の世界を、いま私たちが生きているのだと想像してみることができる。核エネルギーに関する知識の量も対処手段も情報伝達手段も、現在とは格段に違っていることを考慮すれば、広島、長崎への想像力はさらに正確さを増すであろう。
 広島と長崎の2個所でほぼ同時に起こった核爆弾による惨事は、いま目前で見ている多様で複雑な対処手段よりも何千倍の人員やエネルギーを要求する仕事になるだろう。もはや救済できないと諦めざるを得ない死者の群れを放置すると決断したとしても、少しでも可能な救護に取り組むために、権力機構はもがき苦しむことになる。生き残った市民からの要求は数え切れないほど存在するであろう。世界の耳目が集まるとともにさまざまな救援部隊もやってくるであろう。
 日本政府は2004年6月に制定した「国民保護法」にしたがって、市町村に「核兵器による攻撃」を受けたときの被害想定と対処方法の作成を義務づけた。それに対して広島市や長崎市は、逆に政府に対して「被害想定と対処方法」を示してみろと要求した。回答のない政府に対して広島市は専門委員会を組織してシミュレーションを行い報告書を作成した(2007年11月)。その結論は、「核攻撃による被害を回避することは不可能であり、行政の努力は被害をわずかに軽減できる程度である。核兵器の破壊力は余りにも巨大であり、放射能汚染が対処活動を著しく制約する。核攻撃を起こさせない、すなわち核兵器廃絶の実現以外に対処方法はない」ということであった。むろん、これは正解である。
 にもかかわらず、救援活動が開始されるであろう。私は、その限界を知った上でIAEAやNPTに関係する諸専門組織を活用することを否定するものではない。また、それらの国際機関のなかで、旧弊改革のために奮闘している人たちがいることを忘れてはならないであろう。しかし、私たちがいま展望すべきは、人道原理に立った新しい非政府組織(NGO)を豊富にすることである。たとえば、放射能測定と評価、気象観測、医療分野、流通・通信分野などの専門分野において、彼らには、公機関と同様な必要な権限を与えられるべきである。税金によって賄われる資金によって必要な装備と人員をもって日常的な訓練も可能でなければならないが、大型集団化する必要はない。そして、同種のNGOが複数存在する重複をおそれてはならない。もちろん彼らのパフォーマンスを評価する独立評価組織も必要であろう。政府は政府自身の同種の仕事をする。そのうえで調整や統括の機能においてに力を発揮すべきであるが、指揮してはならない。私は、このような多様な専門的独立集団に権限をもたせる市民社会を、仮に権力機構の多重化、あるいは社会化と呼びたい。世界的に「国境無き医師団」などの形で、NGOがすでに担い始めている活動領域を、高度科学技術社会は制度化することが必要となっている。
 このような社会は、同時に非軍事化を伴わざるを得ないであろう。常備軍で武器された権力機構こそが核エネルギーの軍事利用を極限にまで肥大させ、「平和利用」を従属させてきた歴史を考えるとき、人道原理に立つ権力機構の社会化は軍事力支配を無力化することを必然的に必要とすると考えられるからである。福島原発事態のような危機において、軍事力はまったく不必要である。空母ではなく移動型海上防災基地が必要なのであり、戦車や攻撃ヘリコプターではなく土木用重機や捜索救助のための緊急派遣救難隊が必要なのである。

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