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2009年1月 6日 (火)

オバマ政権とCTBT

 「ワシントン・ポスト」(2008年12月25日)にマイケル・オハンロン(ブルッキングス研究所)が、オバマ政権は信頼性代替弾頭(RRW)は拒否すべきだが、CTBTの批准を上院から取り付けるためには「もっと控え目で威力の少ない」核兵器を開発するのがよい、と書いたことが論争を呼んでいる。
 このような議論が出てくるであろうことは、十分に予想されたし、今後ますます出てくるであろう。米国が「核兵器のない世界」に向かうためには、避けて通ることができない。
 クリントン政権が、CTBT成立にリーダシップを発揮した時を想起しておこう。その政策を推進できたのは、「核実験を再開しなくても、現有の核兵器は問題なく使える」と反対派を説得できたからである。説得の裏付けが巨額の投資を伴う「科学的核兵器維持管理プログラム(SSMP)」であった。オバマ政権が同種の問題に直面することは目に見えている。
 アメリカ社会が「軍事的優位が無くても、アメリカは安全である」と説得されるためには、大きな文化革命が必要である。対テロ戦争のために陸軍定員の65000人増員、海兵隊定員の27000人増員を公約としなければならなかったオバマ政権に、直接そのような文化革命へのリーダーシップを求めるのは無理であろう。しかし、対話外交の推進によるアメリカの信頼回復を目指しているオバマ政権は、その下地を作ることができるはずである。そこに「変化」の意味と希望がある。昨年11月に釜山で開催されたシンポジウムで、中国代表が「オバマの登場によってブッシュ流アメリカは変わるであろうが、アジアで覇権を追求するアメリカは変わらない」とにべもなく発言して多くのひんしゅくを買う場面があった。表層だけを見れば中国代表の言うような側面は否定できないであろう。しかし、私たちに必要なのは底流にあるダイナミズムに注意を注ぐことである。
 このような全体状況の中で、現段階において、「核兵器のない世界」を進めるオバマ政権は、「核兵器がなくても米国の軍事的優位は揺るがない」と議会と国民を説得することを迫られるであろう。つまり、通常兵器の優位(おそらく限定的ミサイル防衛を含む)を強調することになる。「相も変わらぬアメリカの姿」である。と同時に、オバマ政権が上院のCTBT批准を取り付けるためには、現状においては核兵器が抑止力として必要であるという論理を前提としなければならない。そうだとすると、10年前と同じ2つの争点において上院を説得しなければならない。
 1.CTBTは検証可能か。
 2.核実験なしに米国の核兵器は有効か。
 前者の問題は、暫定的なCTBT機構のこの間の実績によって比較的容易にクリアできそうである。しかし、後者は容易ならぬ継続した争点になる可能性がある。そこに、オハンロンのような議論が登場する余地がある。
 「新しい核弾頭を作らない」というのは、選挙中のオバマ候補の重要な公約の一つであった。オバマ政権はRRWにしろオハンロンの言う「もっと控え目で威力の少ない」核兵器にしろ新型弾頭を断じて開発すべきではない。たとえ、それによって米国がCTBTを批准することができたとしても、それは「核兵器のない世界」を目指すとした公約全体の信頼性を損なうどころか、そもそもCTBT批准そのものを台無しにする悪影響を生み出す。イラン、北朝鮮などCTBT発効に必要な他の国々が批准を躊躇することになるであろう。米国のその他の不拡散政策への打撃も大きい。
 そうすると、オバマ政権がCTBT批准を実現する道は、クリントン政権のSSMPの成功を科学的に示すことによって、上院の超党派の説得を勝ち取ることであろう。そのための科学的権威付けを行う工夫が求められる。その意味では、オバマ政権らしさはCTBTにおいてそれほど発揮する余地はなく、クリントン政権の遺産の再活用と言えそうである。
 むしろ、オバマ政権らしさは、米ロ関係の改善を図り、両国の核弾頭の大幅削減を勝ちとることに発揮されるべきである。そのためには、欧州へのMD配備中止への決断が重要な鍵となる。
 このように米国の政治力学を考えながら米国の政策動向を考えることは、日本における核兵器廃絶議論においても必要なことではある。状況分析上に必要であるだけではなく、日本の政策決定者との議論においても必要となるからである。しかし、日本自身の政策選択はまったく異なる根拠において行うべきであることを追記しておきたい。米国がしばらくはこのような体たらくであるからこそ、被爆国日本の国際的リーダーシップのあり方が問われるのである。

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