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2008年9月21日 (日)

インドの核兵器をどうするのか

米印核協力が提起した核心の問題
――核兵器禁止条約に正面から向き合え

もう一つの問い
 9月6日、核供給国グループ(NSG)はついにブッシュ政権のごり押しに屈した。ウラン原料や核技術のインドへの輸出を可能にする米印核協力協定への障害の撤去に合意したのである。この決定の支持者たちの言い分の表皮をむいてゆけば、原子力産業を儲けさせることが国益であるという論理しか残らないようなこの暴挙を、全会一致制のNSG45か国が止めることができなかった。その意味は深刻である。
 もっとも見えやすいブローは、核不拡散条約(NPT)への直接的な打撃である。NPT条約に加盟し、ウラン原料やウラン、プルトニウムなど核分裂物質の国際原子力機関(IAEA)による査察を受けない限り、核エネルギーに関するいかなる協力も受けられないというのが、核兵器の拡散を阻止するNPTの原理であった。にもかかわらず、NPTへの加盟を拒否し核武装するに至ったインドに対する核エネルギー協力を、45か国はを容認した。つまり、NPTに加盟していれば許されないことが、加盟していなければ許されるという、NPTの権威を台無しにする先例を作ったのである。45か国が190か国のNPT体制に大きな風穴を開けてしまった。しばしば名指しされるイラン、北朝鮮のみならず、日本を含む有力な国々に存在するナショナリストたちに、これは危険に満ちたメッセージを与えるであろう。
 NPT遵守の重要性、NPT金科玉条主義への冷笑など、NPTを巡る視点については、今回の事態の中でさまざまに指摘されてきた。しかし、米印核協力協定が投げかけているもう一つの本質問題に目を向け、その解決に向かって議論を発展させる試みは少ない。本質問題とは、ではインドの核兵器をどうするのか、という問題である。
 米印核エネルギー協定に反対する日本の真面目な政策担当者や議員たちが、事情に通じていればいるほど、「NPT体制は重要である。しかし、インドをどうするのか」という問いに直面していることを、筆者は痛感してきた。NPT体制を維持、強化する立場から、「インドは核兵器を放棄してNPTに非核兵器国として加盟せよ」という要求が、これまで数え切れないほど繰り返されてきた。だが、この主張がインドとの対話の糸口にならないことも、同じだけ繰り返し経験してきたのである。その結果、消息通はこの主張の繰り返しの有効性に疑問を感じており、今回の事態はNPT防衛論で終始することでは済まない大きな問題が問われていると感じている。これは、もちろん、NPTはすでに死に体であるという傍観者の言を吐きながら、ビジネス・チャンスを強調する論者の主張とは峻別されなければならない。
 NPT枠外の核保有国の処遇問題は決して新しい問題ではない。とりわけインドが主張し続けているNPTの差別性の問題は古くからの問題であるが、実は今回の経過の中で影の主役であったとも言えるであろう。NPT上の核大国が、核兵器は国家安全保障を究極に担保するものであると公然と言っているときに、なぜ大国を自認するインドだけが核兵器の保有をしてはならないのか、というのがインドの言い分である。インドは、98年に核実験を強行し今後も核兵器を保有し続けることについて、「他に核兵器がある限り」といささかも譲歩の姿勢を示していない。今回、インドが米印協定によって得ようとしている利益は、すでに他の核大国が差別的に国際社会から享受している利益なのである。したがって、公然たる核保有国がインドの核保有への制裁として核取り引きを禁止するという論理と制度の枠組みはいかにも弱く、その弱さがNSGの弱さとなった。
 インドをどうするのかという問題は、米国、ロシア、フランス、イギリス、中国という、NPTで核兵器国として特別扱いされている5か国をどうするのかという問題抜きに論じることはできない。とりわけ、最強の核兵器国であり、最大の軍事強国であり、今回の事態の火付け役である米国をどうするのか、という問題を見据える必要がある。したがって、問いは同時に、その米国の核抑止力に頼っている日本やNATO諸国にも向けられる。日本政府が「インドは非核兵器国としてNPTに加盟せよ」と繰り返して言っている姿勢は、そこに留まる限り、この根本問題に蓋をする方便ともなってしまうし、現にそうなっているのである。

インドの核兵器廃絶論
 NPT第6条によって核兵器国が約束している核兵器の撤廃義務を果たさせることも含め、現にNPTが果たしており、これからも果たすであろう重要な役割は、擁護し強化されなければならない。40年になろうとしているNPTに関する多国間交渉の積み重ねは、単にNPT条約遵守という狭い目的に留まらず、国際社会が市民社会を巻き込んで取り組んでいる安全保障問題についての他に類例のない苦闘の歴史を展開している場として、照明を当て、検証し、その努力の継続が激励されるべきである。その意味で、NPT条約体系の枠内においては、NPTの普遍性を目指すべきであり、インド、パキスタン、イスラエルに対して、非核国としてNPTへの加盟を要求し続けるべきである。
 しかし、それと同時に、差別性のない核兵器禁止を実現するための協議の枠組みを一日も早く設置しようという努力が顕在化すべきである。このことは、NPT重視の立場と矛盾しないし、それどころか、NPT再検討会議の発展の一形態と考えることもできる。その経過については後述するが、実際、そのような方向性の正統性と現実性については、少数のNGOと同志国家によって地道な努力が続けられてきた。米印協定が問題を突き付けた今、この問題について広範な議論を起こすべきであろう。
 今回の交渉過程で日本政府が示した煮えきれない姿勢を「NPT金科玉条論」といって揶揄する原子力推進論者は、米印協定の帰趨にかかわらずNPTはすでに死に体であると論陣を張るが、だから「米国、中国、インドを核兵器禁止のためのテーブルに先ずつかせよ。話はそれからだ」とは言わない。また一方で、米印核協力協定に反対する日本のポリシー・メーカー、外交官、議員も、日本政府の「米国の核の傘に守られながら核軍縮」の路線に決別する政策転換に本腰をいれる準備がないため、反対論に迫力が生まれない。今こそこの状況を突破する現実的議論を起こすべきである。
 インドの強いナショナリズムが、インドのみが核兵器廃絶を迫られることに猛反発することは政権が変わっても変わらない。しかし、国民会議派のインドには一貫して差別のない核兵器廃絶論がある。88年に当時のラジブ・ガンディ首相は核兵器廃絶行動プランの提案を行ったが、06年10月6日、国連総会第1委員会において、インドは同様の内容を作業文書として提案している。作業文書の最後の2節は以下のような内容である。

16.核軍備撤廃の目標に向けて進展するためには、完全廃棄に導くような核兵器の非差別的で検証可能な普遍的禁止条約を締結する、国際社会の相互信頼の気運が必要である。この目的に向かって合意を形成するのに努力を惜しんではならない。
17.我々は、次のような要素を基礎にして核兵器撤廃の目標達成に向かって具体的一歩を踏み出すことができる一致点を見出すよう、国際社会が対話を強めることを訴える。
・すべての核兵器保有国が核兵器の完全廃棄という目標について明確な誓約を再確認する。
・安全保障教義における核兵器の重要性を低下させる。
・核兵器の地球規模の到達力と脅威を勘案し、核保有国が偶発的核戦争の危険を含め核兵器の危険性を減じる措置を講じ、意図しない偶発的な核使用を防止するための警戒態勢の緩和を行うこと。
・核兵器の先行不使用(ノー・ファースト・ユース)に関して保有国間の世界規模の協定を交渉すること。
・非保有国に対して核兵器を使用しないという普遍的で法的拘束力のある協定を交渉すること。
・核兵器の使用と使用の威嚇を全面禁止する条約を交渉すること。
・核兵器の開発、生産、貯蔵、および使用を禁止し、核兵器の破壊を義務づけ、具体的な時間枠を伴った非差別的で検証可能な核兵器の廃棄をもたらす地球規模の核兵器禁止条約を交渉すること。

 核兵器禁止条約(NWC)に至るインドのこの行動プランは、07年にも繰り返し国連総会において言及された。興味深いことは、インドはNPTを強く拒否しているが、これらのインド提案はNPT再検討会議における最近の合意を意識しながら記述されている点である。98年の核実験によってインドが国際社会に対して示した負の実績は、インド案を基礎にした国際的な建設的議論を受け容れがたいものにしている。しかし、ここに展開されているインドの論理は、別に形成されている核兵器禁止条約の議論の枠組みと多く重なっている。したがって、その枠組みの中にインドを巻き込むことが十分に可能であることを示している。

核兵器禁止条約の経緯と現在
 国際NGOの努力で、核兵器禁止条約(NWC)はすでに一定の国際的地位を築いている。すでにモデル核兵器禁止条約が起草され、国連総会やNPT再検討会議の公式文書として配布されている。しかし、現状においては核兵器廃絶のための現実的な課題として理解されているとは言えず、スローガンとしての漠然とした支持や核兵器廃絶論者の急進性の表現というレベルに留まっていることが多い。
 核不拡散条約(NPT)が発効して25年目の1995年、条約の無期限延長の是非を決定するためのNPT再検討・延長会議が開催された。そのときのNGOの主張は、「NPTを超える」であり、そのための具体的な提案は「核兵器禁止条約の制定」であった。それを契機にモデルNWC起草委員会が形成され、97年4月にその初版が発表された。
 96年に国際司法裁判所(ICJ)が、NPT第6条に謳われた核兵器撤廃交渉の交渉義務のみならず締結義務を全会一致で勧告したことを受けて、NGOはNWCに関する交渉はICJ勧告の核軍縮交渉の一つの形態であると位置づけた。初版のモデル条約の前文ではICJの勧告が引用された。2007年に発表された改訂版モデル条約の前文においてもこの趣旨は変わっていない。
 ICJ勧告は、政府レベルにおいてもNWCを目標として掲げる動きを促すことになった。マレーシアがイニシャチブをとって「マレーシア決議」と呼ばれる国連総会決議が96年以後毎年の国連総会に提案され、採択されてきた。決議は「核兵器の威嚇または使用の合法性に関するICJ勧告的意見のフォローアップ」と題するが、その主文の項目の一つは、毎決議の翌年に「NWCに関する交渉の開始を求める」という内容である。
 初版のモデルNWCは97年、コスタリカが国連総会文書として提出し(UN Doc A/C.1/52/7)、改訂版は07年、コスタリカとマレーシアによってNPT再検討準備委員会(NPT/CONF.2010/PC.1/WP.17)、および国連総会(UN Doc A/62/650) に提出された。
 しかし、95年のNPT再検討・延長会議が、ダナパラ議長の采配の下に、無期限延長とともに注目すべき付帯決定を行い、NPTの再検討過程の強化策が実行されることになったことに伴い、多国間会議の場でのNWCの位置づけは複雑なものになった。前述したように、マレーシアに代表される非同盟運動の主要国家はNWCの交渉開始を主張するのに躊躇はなかったが、核軍縮に熱心な政府の多くは、付帯決定を生かしてNPTを軸に核兵器国に核兵器撤廃を迫る努力に集中する方針をとった。98年に誕生した新アジェンダ連合は、そのような方向を示した代表的な国家グループであったと言えるであろう。新アジェンダ連合の結成声明は、NWCという言葉は使わず「核兵器のない世界の維持には、普遍的で多国間で交渉された条約(instrument)、あるいは相互に補強しあう一組の条約体系による下支えが必要であろう」と述べ、98年秋の国連総会における新アジェンダ決議においても同様な表現を行った。すなわち、NWCの必要性を盛り込みつつも、彼ら自信がその交渉開始を要求する先頭に立つことを避ける情勢判断をしたのである。もちろん、新アジェンダ連合諸国もマレーシア決議には賛成した。
 このことは、NGOにも慎重な配慮をもたらした。マレーシア決議の支持を広げる努力が続けられる一方、NWCの交渉開始を一気に運動として強化する選択は行われず、各国政府への働きかけも抑制されたものに留まった。状況は、決して「NPTの強化か、NWCか」という方針上の対立を意味するものではなかったにもかかわらず、そのような対立と見える形で問題が顕在化することを避けようとしたと言える。
 しかし、実際には実際的措置を積み重ねることと、NWCを交渉のテーブルに載せることは、矛盾しないどころか並行して進めるべき事柄である。このことが理解され難い理由の一つに、NWCにつきまとっている誤解がある。それは「核兵器のない世界」に対する理解不足と関係している。

核兵器禁止条約への誤解
 上述したように、インド問題を契機に核兵器禁止条約(NWC)の現在的な意義を強調したが、別の側面からもNWCにスポットライトを当てるべき時がきている。すなわち、シュルツ、ペリー、キッシンジャー、ナンと言った米国の元高官たちを巻き込んでいる「核兵器のない世界」へのフーバー・プランや日本の民主党有志が提起している北東アジア非核兵器地帯条約案起草などの動きとの関連においても、核兵器禁止条約に立ち入った議論の展開が必要となっている。そのためにも、NWCに関するこの誤解につて触れておく必要がある。
 「核兵器のない世界」とは、どのような世界であろうか。明らかに、それは現実世界とかけ離れたユートピアなどではない。それは、現在よりも格段に安全な世界であろうが、残念ながら紛争が絶えず、国家間のヘゲモニー争いが続いている世界であると考えるべきであろう。誤解を恐れずに言えば、多くの政府のメンタリティにおいて現在とそう変わらない世界なのである。したがって、「核兵器のない世界」を維持するためには、しっかりとした国際条約とその実施制度が必要である。つまり、現在すでに存在したり、実現すべきと目指されている核軍縮のための実際的措置は、ほとんどが「核兵器のない世界」、およびそれへの過程に必要なものである。言い換えれば、NWCが必要としている要素なのである。
 NPTの根幹となっている原子炉や核物質の軍事転用の禁止、そのための国際原子力機関(IAEA)との保障協定、また今日ではIAEA追加議定書、など、NPTやIAEAの規定は「核兵器のない世界」にも不可欠である。核爆発実験の国際監視制度(IMS)を導入した包括的核実験禁止条約(CTBT)も、もちろん不可欠である。未だ交渉開始が実現していない兵器用核分裂性物質生産禁止条約(FMCT、カットオフ条約)も必須であろう。さらに、NPT2000年合意の13項目の実際的措置で謳われた核軍縮の不可逆性や透明性も原理として確保されなければならない。イギリスとノルウェーがイニシャチブをとっている核軍縮検証制度なども、「核兵器のない世界」の構成要素となる。
 最近、「北東アジア非核兵器地帯よりも、その先を行く核兵器禁止条約を目指すべきである」という議論があることを知って驚いたが、このような議論も、「核兵器のない世界」への誤解からきている。
 「核兵器のない世界」を維持するのに、非核兵器地帯は重要な役割を果たすことになる。とりわけ地域的な検証システムは必ず必要になると言ってよい。単に広大な地球全体の検証制度のために地域的制度が必要であるというだけではない。北東アジアがそうであるように、それぞれの地域には長い歴史のなかで蓄積されている特有の相互不信や国家間の関係があり、適切で効果的な検証体制は地域間でこそ確立できるのである。また、それを確立する地域主体のプロセスそのものが制度の有効性を支えるという側面を見逃してはならない。「核兵器禁止条約ができれば非核兵器地帯は不要になる」というような考えは戒めるべきである。
 すでに世界には5つの非核兵器地帯条約が存在しているが、それらはNWCを支える要素として活用されてゆくであろう。
 非核兵器地帯条約を含め、個別の国際的法制度とNWCとの関係は今後の議論の推移、国際関係の推移によって定められてゆく。このような見通しが、前述した新アジェンダ声明の「核兵器のない世界の維持には、普遍的で多国間で交渉された条約、あるいは相互に補強しあう一組の条約体系による下支えが必要」という文言には込められていると理解すべきである。
 前述したように国際文書となったモデル条約の概要部分に「他の国際協定との関係」という項目があるが、そこにはこの点に関して次のような具体的記述がある。
 「モデル核兵器条約は、既存の核不拡散・軍縮体制および検証・遵守の諸取決めに基づくものとなる。これには、核不拡散条約、国際原子力機関(IAEA)の保障措置、包括的核実験禁止条約の国際監視制度、および米ロ2国間の諸協力が含まれる。ある場合には、核兵器条約はかかる体制および取決めの任務と活動に加わるものとなる。他の場合には、核兵器条約が追加的な補完的取決めを設置することとなる。」

むすび
 米印核エネルギー協定が浮き彫りにした核兵器不拡散体制の弱点は、差別性のない核兵器禁止の枠組みを顕在化させることの重要性を示している。核兵器禁止条約に象徴されるそのような枠組みはすでに存在しているにもかかわらず、焦点化されていない。不拡散体制の強化にのみ限定されがちな議論の現状を克服して、今こそ核兵器禁止条約への道を直接的な議題とすべき時である。最後に、そのための時宜を得た文献として「地球の生き残り:[解説]モデル核兵器条約」(浦田賢治編訳、日本評論社、08年7月)を紹介しておきたい。

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